何年も前の話ですが、以前こんなことがありました。
知り合い数人でランチをした後に、カフェに入ったときのことです。
その中のメンバーの一人が、
当たり前のように全員分のお水を持ってきて、テーブルに置いてくれました。
その人は、明らかにメンバーへの “好意と気遣い” からしてくれたことだ、と分かります。
ですが、私は違和感を持ちました。
彼女は、他のメンバーに「水が必要かどうか?」というをまったく確認しなかったからです。
カフェに行って、必ず水を飲む人も居れば、その時はお水が必要ない人も居るわけです。
私たちには それぞれ、その時々で独自のニーズがあります。
恐らく彼女は、家庭でも外の付き合いでも、気遣いから他者のお世話を焼いている方だと思います。
私がここでお話したいのは、
「余計なお世話よね!」という批判ではありません(笑)
他者のニーズに無関心だということは、自分自身のニーズに対しても無関心である、
ということが分かります。
(これについては、いつか別のタイミングでお話ししましょう。)
日本の社会では、「空気を読める人、気遣いができる人が好ましい」
といった「思い込み」を持つ人が多いです。
そして、
「自己主張は、あまり好ましくない」といった思い込み持つ人も、まだまだ多いです。
時により、この慣習が多くの問題を生み出しています。
“良かれと思って”、「一般的な慣習」や、育った家庭の習慣から
「正しい」と思うことを相手に与えたとしても、それはあくまでも「その人の価値観」に過ぎません。
私たちは、一人一人がまったく異なる価値観やニーズを持っています。
「自分にとって正しいこと」が、「周りの人にとっての正しいこと」とは限りません。
「自分がやってもらって嬉しいこと」が、「周りの人にとっても嬉しいこと」とは限らないのです。
好意から「良かれと思って」相手に何かを与える前に、
「私はあなたに 〇〇したいと思うんだけど、それは必要かな?」と聞いてみましょう。
相手のニーズに関心を持って質問をすることが、
相手に対する本当の気遣いであり、優しさだと思うのです。